[ Web Letter - Vol.08]空へ還ると聞いた日、僕は種を蒔いた。
Web Letter - Vol.08 / 皐月 May 13, 2026
~このWeb Letterは宮崎県の里山綾町で写真家をしたり、マッサージをしたり、七輪炭火で珈琲を焙煎したりしながら、家族と心地いい暮らしをつくろうと奮闘する父、溝口直己の物語です~

実家は農家だ。
子供の頃から「農業は直己くんが継がんといかんよ」とじいちゃんに言われてきた。大人になってからも実家に帰る度に「いつ帰ってくるとね」と言われてきた。
兄がいるが幼少期から特質で、農業は継がないと分かっていたのだろう。物心ついた時から何故か僕が農家の跡取りのようになっていた。
子どもの頃の僕はそれがたまらなく嫌で、吃音症とは別で、これもまた家や地元を離れたくて旅に出た要因の一つだった。20歳で旅に出てから実家にあまり帰ってなかったが、マイちゃんと結婚しアカリが生まれてからは年に数回、実家に帰るようになった。

「おじいちゃん、もしかしたらそろそろかもしれない」と母から電話があったのは、5月が始まってすぐのこと。ちょうど撮影の終わりで、明日の撮影場所の下見に向かおうとした車の中だった。
電話を切り、僕はそのまま下見に向かった。川に着き、ゆっくり歩き、その場の光と風を感じた。それから家に帰り、そろそろかもしれないことをみんなに話した。
96歳のじいちゃん。野良仕事が大好きで、つい最近まで軽トラやトラクターに乗りも乗り、たくさんの野菜を作っていたじいちゃん。実家に帰ると「畑にいこう」といつも僕やアカリを誘ってくれた。そのおかげか、アカリも野良仕事が好きになった。
じいちゃんのことを話した後、僕らは家の側の畑に向かい種を蒔いた。何があってとかではなく、この日が蒔く日だったから、ただ蒔いただけだった。いつの間にか僕も野良仕事が好きになり、暮らしの一部になっていたことに氣付いたのだった。

電話を受けた3日後、僕はじいちゃんに会いに行った。ちょうど少し先に兄と父が病院に着いていて、4人で思い出話やたわいのない話をした。
面会の時間が終わりに近づきみんなで出ようとすると、じいちゃんは僕にだけ残って話がしたいと言った。
「明日も来れるから、明日僕だけで来るね」と言ってその晩は実家に泊まった。次の日会いに行った。
話す内容は分かっていた。「実家に帰って農業を継いでくれんね」という話だ。病室に着いて僕はじいちゃんの横に座った。じいちゃんはきつそうに体を起こしそして言った。
「直己くんは写真で生きていくとやろ」
実家のこと、農業のことは一切話さなかった。
「写真、頑張らんといかんよ」
とだけ、じいちゃんは言った。
